このサイトは、大分県に現存する築160年の古民家の再生を目的として、この土地に刻まれた歴史を細かく紹介しています。

歴代 立石藩主

豊後立石は寛永19年(1642)、日出藩初代木下延俊の四男木下延由を領主として5000石で立藩。以後明治の廃藩置県まで230年に渡り木下氏が治めた。

初代 延由(のぶよし)

2代 延知(のぶとも)

3代 重俊(しげとし)

4代 栄俊(よしとし)

5代 俊徳(としのり)

6代 俊昌(としまさ)

7代 俊直(としなお)

8代 俊隆(としたか)

9代 俊芳(としよし)

10代 俊国(としくに)

11代 俊清(としきよ)

寛政重脩諸家譜 第7輯 1923年刊 国立国会図書館デジタルコレクション コマ番号101

寛政重脩諸家譜 第7輯 1923年刊 国立国会図書館デジタルコレクション コマ番号102

初代

木下縫殿助豊臣延由 きのした ぬいどのすけ とよとみの のぶよし

別名 延次(のぶつぐ)

慶長15年(1610)ー万治元年7月6日(1658.8.4) 享年49

父:木下延俊 母:恵昌院(お賀井の方)


2代

木下内匠助豊臣延知 きのした たくみのすけ とよとみの のぶとも

寛永20年頃?ー延宝6年7月6日(1678.8.22) 享年35

木下縫殿助豊臣重俊 きのした ぬいどのすけ とよとみの しげとし

木下縫殿助豊臣栄俊 きのした ぬいどのすけ とよとみの よしとし

別名 最初延武(のぶたけ)

11才で家督を継ぐ

木下内匠助豊臣俊徳 きのした たくみのすけ とよとみの としのり

別名 長内 辰五郎 大蔵 縫殿助

生没 享保8年頃(1723?)ー天明元年5月21日(1781.6.12) 享年58

寛保3年(1743) 立石天満社に石灯籠を寄進

立石天満社の石灯籠

奉建 木下豊臣俊徳

立石天満社の石灯籠

上建木下氏豊臣俊徳 寛保3年

木下大内蔵豊臣俊昌 きのした おおくら とよとみの としまさ

別名 熊五郎 辰五郎

生没 宝暦3年頃(1753?)ー安永8年9月6日(1779.10.15) 享年26

木下縫殿助豊臣俊直 きのした ぬいどのすけ とよとみの としなお

生没 宝暦4年頃(1754?)ー寛政3年11月2日(1791.11.27) 享年37 没地喜多之原(立石陣屋)

土方雄端(ひじかたかつまさ)(1716-1758)の三男 母:木下利潔の娘美代姫

安永8年12月8日(1780.1.14)家督を継ぐ

木下内匠豊臣俊隆 きのした たくみのすけ とよとみの としたか

別名 辰五郎

生没 安永9年頃(1780?)-18xx

俊昌次男 母:伊東長詮娘

兄俊直の嗣子となり、寛政3年12月29日(1792.1.22) 12才で家督を継ぐ

文化3年(1806)版武鑑に掲載

文化8年3月(1811)に立石天満社に鳥居を寄進

正室:水野飛騨守忠實(1750-1822)の娘

立石天満社の鳥居

木下----豊臣俊芳 きのした とよとみの としよし

武家官位不明

10

木下図書助豊臣俊国 きのした ずしょのすけ とよとみの としくに

11代

木下----豊臣俊清 きのした とよとみの としきよ