このウェブサイトは、大分県に現存する築160年の古民家の再生を目的に、この土地に刻まれた歴史を細かく紹介しています。

お殿様を知るなら武鑑を見よ

「改正 文化武鑑 三」文化3年(1806)出版 豊後立石藩主木下辰五郎俊隆の箇所(コマ番号54) 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

江戸時代に出版された本に「武鑑(ぶかん)」があります。武鑑は、全国の大名や旗本の正式名称や石高、領地、家紋、家来の名前まで網羅した分厚い本です。今で言うスポーツの選手名鑑のようなものです。選手名鑑が毎シーズン発売されているように武鑑も毎年最新版が登場していました。

江戸時代200年以上に渡って売れ続けていたのが武鑑です。何のために出版されたのでしょう。

武鑑を出版していたのは江戸幕府ではありません。幕府による公式ガイドブックは無かったのです。版元と呼ばれる民間の出版事業者が手掛けていました。

江戸の町は、参勤交代にやって来た組と1年の努めを終え国元へ帰る組の往来が盛んでした。

武鑑を見れば、庶民でも目の前の大名行列が何家なのか家紋や槍袋の図形で知ることができたのです。

その大名行列を見学するのは庶民だけでなく、地方から殿のお供をしてきた武士も他家の行列を見学していました。

大名達は代替りや領地替え、肩書に変更があるので、その情報が毎年更新され最新版が出ることで役に立つ人が多かったようです。

画像は江戸時代後期の文化3年(1806)版。立石藩第8代木下俊隆のことが掲載されています。

家紋

定紋 五七桐(ごしちのきり、ごしちぎり)

副紋 抱き沢瀉菱(だきおもだかびし)

火消し纏(まとい)

菱に十字の紋。初代立石藩主木下延由が島津家にお世話になった事から家紋に採用したとの言い伝えがある。